川下国賠の思い出(川下清)

私は、接見国賠の勝訴原告です。その事件の話をしましょう。

私が、接見依頼を受けて、奈良の警察署に赴いたところ、前日に友人の小坂井弁護士が接見していたということで、検察官から、小坂井弁護士と同じ依頼者からの依頼かと尋ねられました。私は、小坂井弁護士が誰から依頼を受けたのかは知らない、被疑者からの依頼を受けて弁護人となろうとするものである、と答えました。すると、接見、物及び書類の授受を拒否されたのです。

若い方々には分からない話なので、少し説明しますと、杉山事件最高裁判決後も、接見拒否というのは結構日常茶飯事で、弁護士・弁護士会は、手段を尽くして争っていたのです。この頃、検察庁は、検察官が発行する指定書、いわゆる一般的指定書と呼ばれるものを拘置所や留置所に送っておき、接見を許可する時間を指定した具体的指定書を取りに来たら交付し、これを勾留場所まで持参させる、この具体的指定書を持参しなければ、接見、物及び書類の授受を拒否する、というやり方で接見を妨害することが増加していました。

一般的指定書の制度自体は昔からあったのでしょうが、留置係や拘置所職員が電話で連絡すれば、現に取調中でなければ接見を認めたのがふつうで、あまり拒否されることはありませんでした。

それが、弁護士・弁護士会の運動の進展に対抗して、検察庁側が拒否の理由を整理していって、具体的指定書持参という方式を強化徹底させたのだと思います。これは、一般的指定書1枚によって、弁護人の被疑者との接見及び物、書類の授受の権利について、刑事訴訟法39条の原則(1項)とその例外としての検察官の指定権について、原則と例外を逆転させるもので、弁護士・弁護士会は、違法だと訴えていました。しかし、当時、現場では、準抗告認容例、棄却例がいずれもあったように記憶しています。

当該被疑者は完全黙秘の事案で、取調べも形式的なもので、あまりなかったようですが、私が接見を申し出たときも、取調中ではありませんでしたし、そもそも具体的な拒否理由も示されていません。そこで、もう一件、同時に逮捕されて別の警察署に留置されている被疑者について、当該警察署まで行って、同じことを繰り返した上で、準抗告を申立てました。

奈良でのことですから、奈良の地元の友人に連絡をとって一般的指定についての奈良の状況を聞き、さらに大先輩の田川和幸弁護士にもお目にかかって状況を伺ったうえで、喫茶店で罫紙に手書きで準抗告申立書や報告書を書いたものです。

検察官は、当時行われていた一般的指定に基づき、具体的指定書を取りに来ないからだということを理由にしていましたが、具体的な必要性について裁判所に対して説明できなかったようで、3日後に準抗告が認められ、接見指定書を持参しないかぎり、接見及び物、書類の授受を拒否する処分を取り消す旨の決定が出ました。

決定が出た日の翌日、裁判所に行って決定書を受け取り、それを持参して、再び警察に接見に赴き、接見を求めるとともに、差し入れを申し出たところ、検察官は、しぶしぶ接見は認めたものの、物及び書類の授受については、物品、書類を一つ一つ留置係の警察官から確認した上で、電話に出た私に対して、検察庁に持ってきて見せろとか、見せないと拒否するかどうか判断できないとか、挙げ句の果てに裁判所の接見禁止の一部解除決定をもらってこいなどと言って、授受を拒否したのです。

驚きながら、抗議すると、時間がなくなりますよなどというので、やむを得ず、先に接見を済ませた後、先ほど授受を拒否されたものの中にあった弁護人選任届用紙を出して、留置係の警察官に作成を求めました。

先ほど拒否の指示を受けていましたから、警察官は、独断でというわけにはいきませんから一応念のために、と言いながら、再度検察官に電話して確認しました。警察官は、選任届用紙を授受する手続を丁寧に説明していましたが、検察官は、何を思ったのか、選任届用紙の授受を拒否しました。

こうして、私は、弁護人選任権を侵害された弁護士になりました。 再び、警察署近くの喫茶店で準抗告申立書や報告書を起案して裁判所に行くと、すでに夜間受付けで、インターホンで事情を説明すると、宿直の書記官が驚きながら裁判所に入れてくれて、すでに帰宅しておられた裁判官に電話で連絡をとってくれました。

裁判官も驚かれましたが、ともかく、明日のことにしましょう、ということになりました。翌朝、裁判所に行くと、ともかく弁護人選任届が作成されていないのは問題だということで、朝一番に検察官に連絡をとってくださったそうで、検察官は、弁護人選任届の作成は認めると言っていますから、もう一度警察署に行っていらっしゃいと指示され、三度目に警察署に飛んで行ったところ、三度目の正直というか、ようやく弁護人選任届の作成ができました。

さらに準抗告も認められました。

その後、忘れかけたころになって、日弁連が全国単位会に向けて、接見国賠訴訟を提起するよう指示しました。

当時、刑事弁護委員会はまだなかったので、大阪では、人権擁護委員会の中に接見交通権確立部会が設置されました。部会長の中道武美弁護士から、自分自身も原告として提訴するから君もやれと説得され、さんざん渋ったのですが、押し切られて応諾しました。人権擁護委員会の元委員長であった杉谷先生が団長となって弁護団が編成されました。

大阪地裁に提訴したのですが、第1回期日に国側が管轄違いの抗弁を出してきて、大揉めになりました。これは私の大失敗で、起案した段階では、原告の住所記載を大阪の事務所にしていたのに、どこかの時点で、やはり自宅にしておかないと何か言われるかもしれないと思い、うっかり管轄のことを失念して宝塚市の自宅住所に修正してしまっていたのです。

原告住所:兵庫県、被告:国、不法行為地:奈良県という次第で、管轄違いを指摘されることとなったわけです。

弁護団が困ったなという顔をしている中で、私は恥ずかしさもあって、怒り心頭に発し、検察官は奈良の検察庁に居座ったままで、私の業務を電話で妨害したから不法行為地が奈良だということであろうが、自分の事務所は大阪であり、業務の妨害を受けたのであるから、損害の発生地は大阪である、と激しく抗議しました。

そうすると、笠井裁判長(笠井みどり先生のご夫君)が、困った顔をして、訟務検事を裁判官席に呼び、管轄違いの抗弁を取り下げるように説得してくださいました。訟務検事は大阪の訟務局に属しているわけですから、奈良まで通うよりも大阪の方が実は楽です。裁判長の指示をあっさりと受け入れて取り下げてくれました。

本当にホッとしました。私は、笠井裁判長のこの訴訟指揮を今に至るまで徳としています。

この事件では、もう一つ大切な思い出があります。

佐伯千仞先生が口頭弁論で弁論をしてくださったのです。憲法34条に関する以下のようなお話でした。

憲法34条は、弁護人選任権を保障したものだと解されている。自分もそう解釈し、教科書にもそう書いてきた。しかし、これは誤りであった。憲法の英語正文では、ここは「without the immediate privilege of counsel 」となっている。つまり弁護を受ける権利(特権)を保障する趣旨なのである。これを当時の日本側の翻訳者が意図的に弁護人を選任する権利にすり替えて矮小化したのだ。我々は、日本国憲法34条を弁護を受ける権利を保障したものと解釈しなければならない。

この解釈論は、今では当たり前のように考えられていますが、当時は、目の覚めるような思いでした。

もう一つ、これはくだらないエピソードを紹介します。

国賠訴訟では、上記の拒否をした検察官(地検の三席)本人をあえて被告にしていたのですが、その被告本人尋問で、被告検事は、弁護選任届の作成を拒否した理由について、警察署の接見室に仕切りがあって、被疑者と弁護人は直接に物、書類の受渡ができないことを知らなかったと供述したのです。弁護団のみならず、裁判官から訟務検事まで在廷していた一同が驚きました。

当時は、尋問が一日で終わらず、続行されることが珍しくはなかったのですが、この検事は、この点に限らず、答えが無茶苦茶だったので、裁判官も呆れていて、尋問続行になりました。

その続行期日において、この検事は、前回尋問のとき、自分が仕切りのことを知らなかったことについてみんなが笑ったけれど、尋問終了後、地検に帰って同僚に聞いてみたが、3人のうち2人が知らなかったと供述したのです。自分のことだけでなく、地検全体の恥になるようなことを堂々と供述する馬鹿さかげんに在廷一同呆れたものでした。

 

判決は、国に対しては勝訴で、認容額は10万円×3で30万円プラス遅延損害金で40万円余りでした。また、当時、接見国賠では原告勝訴の場合でも、原告も「頑なに○○した」などと原告の言動を非難する認定がなされた例が少なくなかったのですが、私の判決では、私の言動に対する批判的な言及・認定は一切なく、理由も含めた完全勝訴でした。

それでも、やむを得ないことながら、検事に対する請求は棄却されました。私はこれが気に入らなくて、強硬に控訴方針を主張し、反対論を押し切って控訴したのですが、控訴審につきあってくれたのは、上記の中道武美弁護士・上野勝弁護士など少数のメンバーだけでした。上野先生は、無理な控訴につきあってくださっただけでなく、分厚い準備書面まで書いてくださいました。これがどれほどうれしかったかを説明するのは難しいですね。

 確定日に地検から事務官が来所され、検事正からのお詫びの言葉を伝えるとともに、遅延損害金を含めて全額を受け取りました。実は、私は地検の出納管理者名の小切手でくれるものだと思い込んでいて、もらったら現金化しないで額に入れて飾っておくつもりでしたが、現金払いだったので、このお金はそのまま人権擁護のための基金として弁護士会に寄付する旨お答えし、そのとおりにしました。

弁護士にとって、裁判も法廷も日常的なものですが、自ら当事者となることは滅多にないでしょう。偶にあっても、職務上の当事者くらいで、損害賠償の当事者となることはほとんどないでしょう。 私の場合、訴訟当事者といっても、弁護士会の運動のようなものですが、それでも、敵方、味方の一挙手一投足が気になるなど、当事者になって初めてわかった感覚があります。依頼者の前での言動には注意をしましょう。

2019年4月18日 12時00分