④『寄り添って』(特別寄稿:大平光代)

娘は今年の4月から中学生になりました。と同時に側わん症であることがわかりました。大阪の病院で年に一度心臓の検査を受けていますが、その検査の最中、背骨のわん曲を指摘されました。その時は来年の定期検査で悪化していたら整形外科に回すのでしばらく様子をみましょうと言われたのですが、念のため一般の整形外科に行くと、S字湾曲で41度ということでした。

すぐに専門医宛の紹介状を書いてもらい診察を受けにいくと、将来的には手術が必要になるが、それまでこれ以上進行しないよう24時間装具をつけましょうと言われました。どうして41度になるまで気づくことができなかったんだろうと私は自分自身を責めました。私の表情からそのことを察知したのか、川下は「小学校だって気づかなかったんだし、定期通院している小児科医だって何もいわなかったんだから、しかたないよ」と言ってくれました。

それからすぐに症状を悪化しないための装具を作り、24時間装着して様子を見ることになりましたが、どうも釈然としません。側わん症は治らないということは医師の間で常識のようですが、何かよい方法はないかと必死で探すと、側わんの角度を改善する可能性があるという装具を作ってくれるところが見つかりました。でもそれは東京まで行かなければならず、通常3週間で作る装具を3泊4日で作るという強行日程です。土日を含めますのでその週は休日なしになります。しかも4月に現状を維持するための装具を作ったばかりでまだ1ヶ月も経っていない。それにあくまで改善の可能性であって確実に改善する保証はありません。

でもそのとき川下は、「1パーセントでも可能性があるのならやってみよう。たとえ同じ結果に終わっても、やらなかったことを後悔したくないからね。後になってあの時やってみればよかったと思っても、今に戻ってやり直すことはできないから」と一緒に強行スケジュールをこなしてくれました。

それから筋力をつける体操や、ゆらゆら揺らせるように駒を付けたスノコの上に木型をのせ、その上に娘を寝かせてゆするということを毎晩2時間ほどかけてするのですが、川下は家にいるときはその役割を担ってくれています。娘に微笑みかけながらゆらゆらスノコを揺らしている川下の横顔を見ながら、何気なく言ってくれた言葉を思い出しました。

娘の発達テストに行った際に、側わん症のことを話すと担当者から「次から次へと不幸が押し寄せて大変ですね」と言われました。そのことを憤りながら伝えると、川下は「試練だとは思うけど、決して不幸だとは思わない。」と一言。この一言でこれからも前を向いて歩いていけるような気持ちになりました。

これまでそうであったように、人が嬉しい時には心から喜び、人が悲しい時には一緒に涙を流す。川下にはこれからも人の気持ちに寄り添える人でいてほしいと思います。

拙い話を最後まで聞いていただき心から感謝をいたします、本当に有難うございました。

2019年10月17日 12時00分